Brother-in-law

〜3〜


 ……結果として、草原の平穏は守られた。
 しかし気分は少々沈んでいる。
 シャルマナの正体を暴くことは出来たものの、自分は彼女に太刀打ち出来ず……倒されてしまった。
 将来、集落を率いるべき自分があの体たらくでは……皆は付いてきてくれないかもしれない。
 沈んだ気持ちは暗い想像を呼び込み、またその想像が気持ちを沈ませる。
 お祭り騒ぎになっている広場を抜け、人気のない所で座り込む。
 静かな闇が心を沈めてくれるかと思いきや、効果はまったくの逆だ。沈んだ気持ちがだんだん下に……。
「なーにやってんの、こんな所で!」
 言葉と共に背中に衝撃が走る。それに驚いて振り向くと、そこにはカップを持ったノーヴェが笑顔でそこに立っていた。
「ノーヴェさん……」
「今日の主役がこんな所で暗い顔しないの」
「主役……。シャルマナを倒したのはあなたでしょう」
「私、というか、私と仲間たちだね。私だけじゃ勝てなかっただろうし。っていうか企みを暴いたのは君でしょう?」
「それも……あなたに手伝ってもらった」
 自分はシャルマナの企みに気付いただけ。彼がいなければ、それを暴くことも、止める事が出来なかった。
「……何か、不安な事でもあるの?」
「私は……皆を率いる族長になれるでしょうか」
「うん?」
「あなた方がいなければ、私はシャルマナの正体を暴くことは出来なかった。暴けたとしても倒すことはできなかった。……人の手を借りてばかりの無様な私が、皆を率いていくことができるのでしょうか」
「それは……私の判断出来ることじゃないな。でもね……」
 優しく微笑み、まるで自分のことのように嬉しそうに彼は言った。
「皆、君をほめていたよ。君の聡明さ、シャルマナを許した心の広さを。大丈夫、集落の人達は君が族長にふさわしい人物だってちゃんと理解してる。……第一、君が継がなかったら誰が族長になるの」
「あなたは……トレ姉上のことをどれだけ知ってますか?」
「特殊な目を持ってるってことと、君の義理のお姉さんだって事くらいかな。……カルバド出身って事もここに来て初めて知ったくらいだし」
「そう、姉上と私たち父子は義理の関係。つまり、姉上には別に家族がいたということ。姉上のお父上は……カルバドの前族長でした」
「それが……?」
「族長の座をあるべき血筋に……姉上にお返しすべきかと思うんです。もちろん女性には族長の座は重責でしょうから、しかるべき婿をとっ」
「そのトレ自身が、君が素晴らしい族長になれそうで嬉しいって言ってたけど?」
「姉上が……?」
「うん。弟が立派に成長してくれて、人の事を思いやれる優しい気質を保ったまま大人になってくれて嬉しいって」
 ……本当に、自分は。姉上が望んでくれていたような立派な族長になれるのだろうか。父とは違う、ひ弱な自分が……。
 そう、疑問をこぼすと、彼は朗らかに笑った。
「君とお父さんは違うじゃない。君は君のやり方で部族を守ればいい。それに君はまだまだ若いんだし、将来すっごく強くなるかもしれないよ?」
「君は若いって……。あなただって若いじゃないですか」
 ノーヴェは自分と同じくらいに見える。それに比べると……。
「ん? そういや、同じ位に見えるね。いや、敬語で話されてたから、そう思わなかった」
「初対面の人には敬語で話しませんか?」
「じゃあ、もう敬語じゃなくていいよね。もう初対面ってわけでもないし。……なんか敬語で話しかけられると親しくなれない気がして」
 トレはそういう口調だってわかってるから平気なんだけどね……とごちながらカップの中身をあおる。
「無理ならいいんだけど、いつか普通に話してほしいな。そして私と友人になってほしい」
「……前半はすぐには無理だけど、後半なら今すぐにでも」
 ノーヴェは男性にしては変わった服飾趣味をしているが、それを除けばいたって普通の好青年だ。共に旅をしたのはわずかな間だが、それは理解できた。
 やはり人は見た目で判断すべきじゃない。
 握手を求めて手を差し出すと、彼は嬉しそうに握り返してきた。
「また悩み事や困った事があったらいつでも言って。相談にのるよ」
「じゃあ、君も。何かあったら相談してほしい。僕も君の力になりたいから」
「ありがとう、ナムジン」
「礼を言うことじゃないだろう? ……というか、ノーヴェ、さんはなぜこんな所に」
 皆が酒盛りをしている広場と違い、ここは暗く寂れている。酒を飲んでいるというわけでもなさそうだから、酔い醒ましということもなさそうだ。
「ああ、うん。君の事をラボルチュさんが探してたよ」
「ってそれを先に言いましょうよ!」
「なんだか悩んでたみたいだから、それを聞いてからでも遅くないかなーって。元々見かけたら伝えといてくれって言われただけだし」
 いったい何の用事だろう。もしかして勝手に行動したことに対しての叱責だろうか。
「じゃあ、ちょっと失礼して父のところへ行ってきます」
「うん。いってらっしゃい」
 ノーヴェに見送られ、ナムジンは騒ぎの中にいるであろう父の元へ歩いていった。……先程までとは違う晴れやかな気持ちで。



「父上、何のご用でしょうか。わざわざ人のいない所でせねばならない話なのでしょうか」
「私とナムジン同時に話せねばならないことなのですか?」
 シンと静かに冷えたパオに姉と二人、父に連れられてやって来た。本当に何の話なのかわからない。自分一人ならまだしも、姉と一緒だというのが想像できない。
「ああ。話したいことは二つあってな、一つは簡単だ。ほれ……」
 父が腰から細かな装飾を施された短剣を引き抜き、自分に差し出した。
「父上……。それは族長の証たる短剣ではないですか」
「ああ、そうだ。俺は引退する、族長の座をお前が引き継げ」
 思わず姉を見るが彼女はニコニコと微笑んでいた。
「自信がありませんか? あなたなら大丈夫。立派に皆を指導していくことができますよ」
「腕っぷしの事は気にすんな。お前は誰も気付かなかったシャルマナの企みに気付いた。その頭がありゃ充分だ。腕っぷしだけあっても俺みたいになるしな」
 自嘲気味に父が笑う。それにこたえて少し笑ってみせてから気を引き締める。
「……族長の座、確かに譲り受けました」
 短剣を恭しく受けとる。両手に収まる程度の短剣がやけに重い。
 これは……民の重さだ。これからは自分が集落のみなの命を預かるのだ。その事実が短剣を重く感じさせている。
 ……いつの日か、この重責に慣れ、重さを感じなくなるのだろうか。いや、きっとそんな日は来ないだろう。そして来てはならないのだ。
 人の命を軽く思えるような日は来てはならないのだから。
「父上……。もう一つのお話とは?」
 短剣を腰に携え、父を問う。そのもう一つの話というのが、姉にも関係ある話なのだろう。
「ナムジン、トレ……お前らも結婚していてもいい年だな」
「まあ、確かに。草原では私の年齢では祝言をあげていてもおかしくないですね。加えて言うならナムジンは族長の地位を継いだのですから結婚は早い方がいい」
「わかってんなら話は早い。トレ……ナムジンの嫁になってくれねえか。お前は前族長の一人娘、家柄は申し分ない。ナムジンも気心しれたトレなら……」
 父の言葉の途中だが思わず姉を見てしまう。彼女は困ったように微笑み、一つ頷いた。そして二人で父を見据え、きっぱりと言い切る。
「「無理です!」」
「……駄目か? お互いよくわかってんだろ」
 よくわかっているとも。トレ姉上がどんなに優しくて素晴らしい女性なのか自分はよく知っている。
 でも……駄目なのだ。血の繋がりはないが彼女は自分の姉なのだから。
 自分達は姉弟として育ってきたのだ。今さら彼女を一人の異性として見る事ができない。
 ましてや自分の妻にするなどとは想像の端にもかからない。
「おじ様、よく知っていようともナムジンの妻になることはできません。……ナムジン自身に不満があるなどと言うわけではありません。ただ私はナムジンの姉であり、ナムジンは私の弟。私たちの関係は姉弟であり、それ以外は考えられません」
「父上、僕も姉上と同意見です。たとえ血が繋がらなくとも、僕たちは姉弟。それは変わることはありません」
「……そうか。お前らがそう言うならこれ以上はもう何も言わねえ」
「大丈夫ですよ。ナムジンも立派になりましたし、お嫁さんもすぐに来ますって」
「お前はどうなんだ、トレ?」
 父の問いかけから逃れるように姉は目をそらした。……なぜそんなことをするのだろう。彼女には自分の天使だと言ってのけるほどの人が――ノーヴェがいるのに。
「おじ様、お話はもう終わりでしょうか? なら私は皆の所へ戻りたいのですが」
「ああ。わざわざ呼び出して悪かったな」
 姉と共にパオを出て、のんびりと広場に向かう。沈黙が気まずかったわけではないが、ふと尋ねてみた。
「また、旅に出られるのですか?」
「ええ。まだまだ修行中の身ですし、それに彼女の旅の行く末を見届けたいのです」
 ……彼女? それは誰だ?
 姉の仲間たちはみな男性だったと思うのだが……。それともあれだろうか。彼の心は女性だから姉は彼を女性扱いしているのだろうか。
 自分が怪訝な顔をしているのに気がついたのだろう。姉がおそるおそる口を開いた。
「もしかして……ノーヴェさんのことを男性だと思ってますか?」
「……違うのですか?」
「違います。第一、女性用の服を着ているじゃありませんか」
「特殊趣味な方だとばかり。その……胸もないし」
「ないわけでなく、服のドレープでわからなくなってるだけです。それにしてもよかった、ノーヴェさん本人に知られなくて。もし知られていたら……司祭様のお力を借りなければならなかったかもしれません」
「性別を間違えたぐらいで死ねと言うんですか彼は!?」
「ぐらいじゃないですし、直接言ったりはしませんよ。……ただげんこつがとんでくるのは確定かと……」
 なら彼――いや彼女の拳がそれだけ強いということか。
「……誤解していたと、謝った方がいいでしょうか」
「やめておきなさい。わざわざ藪をつついて蛇を出す必要はありません」
 それもそうか。そんなことを告白されても彼女も困るだろうし。
 集落の中はそう広くない。ほどなくして広場へ着いた。ノーヴェはというと、仲間である少年に膝枕をしてやりながら、自身もうとうとと舟をこいでいた。
「そんな所で寝ていたら風邪をひくよ」
「……っ。おかえり、トレ、ナムジン。話はすんだの?」
「ええ。終わりましたよ。皆には明日の朝、通達する予定です」
 姉の言葉で何があったかピンときたのだろう。ニッコリと笑ってこう言った。
「おめでとう、ナムジン。……祝福させてくれるかな」
 膝の上の少年をもう一人の仲間に受け渡し、彼女は立ち上がった。そしてドレスの裾を優美にさばき、典雅な礼をする。
「守護天使ノーヴェより草原の守護者ナムジンへ祝福を……。貴方の行く先、そして貴方の守る大地に優しき風が吹き続ける事を私は願い、信じます」
 その動作は一切の隙がなく美しい。今まで見てきた彼女と本当に同一なのかと疑いたくなった。いや、それよりも守護天使とはいったい……。この土地に守護天使をまつる習慣はあまりないが、どういう存在なのかは知っている。人を影ながらに支え、護り続けていると言われる神の使いなのだと。
 隣の姉を見ると、彼女は微笑みながら唇に人差し指をたてた。……そういえば彼女も言っていたではないか、彼女は天使なのだと。それは比喩ではなかったということか……。
「ノーヴェ……。あなたは本当に守護天使なのか……?」
「さあ……どうだろうね?」
 彼女の瞳にやや影が宿る。しかし次の瞬間にはそれを吹き飛ばすかのような笑顔でこう言った。
「ただ一つ、間違いないのは……私が君の友人だという事。それだけじゃ駄目かな?」
 そっと息をはく。
 そうだ、彼女の正体などどうでもいいではないか。
 ノーヴェがどんな存在であれ、彼女は集落を救ってくれた恩人であり、自分の友人だ。
 初めて会ったときは特殊趣味の……はっきり言って近寄りたくない部類の人間だとしか思えなかった。しかし彼女を知った今は違う。
 クルクルとよく変わる表情も、その笑顔も、見ている方を元気付けてくれる。苦難に手を差し伸べてくれる所や悩む自分を励ましてくれる優しさは心底ありがたい。
 そして今。
 彼女は自分の族長就任を、自分の悩み事が解決したことを喜んでくれているのがその表情からもわかる。
 喜びや祝福の気持ちを、こうストレートに出してくれる者はあまり多くない。
「何か私の顔についてる?」
「いや何も。ただ……知れば知るだけ君のことを好きになるなって」
 ……何やら突き刺さるような視線が飛んできた。その方向にちらりと視線を向けると、そこにはものすごい目付きで睨む彼女らの仲間である青年が……。
 彼の誤解をとくために、あわてて言葉をつけたす。
「無論、友人として」
「私も君の事が大好きだよ」
 ……気持ちは嬉しいが、その前にあなたの背後から飛んできている殺人級の視線に気付いてほしい。
 この場の雰囲気を払拭するために軽く咳払いして話題を変える。
「ノーヴェたちは次はどこに行くつもりなんだ?」
「それが……決めてないんだ。なんというか手探り状態で」
「それならあの山脈の向こうに行ってみてはどうだろう。この間旅人に聞いたんだけど、大きな学校があるそうだよ」
「……こえられるの、あの山」
「こえる必要はないのでは? 船に乗り、ぐるりと回り込めばよいのです」
「それがいい。カズチィチィ山は険しいから登山は危険だ。ノーヴェは地図は持ってる? だいたいの場所を聞いているから後で明日の朝、地図に印をつけてあげるよ」
 いつかその学校を見てみたいと場所を詳しく聞いていた。族長の地位を引き継いだ今となっては無理なことだが、やはり外の世界を知りたいという好奇心は抑えきれない。
「そしてまたカルバドを訪れた時にでも話を聞かせてほしいな」
「うん。わかったよ」
「さあさ、今日はもう休みましょう。ナムジンも明日の準備があるでしょう?」
「準備?」
「族長就任の挨拶をみんなにするんだ。その挨拶を考えないとね」
 といっても小難しい台詞を長々話すつもりはない。ただ自分の心のあり方を示すだけ。ついさっきまでは、それが受けいれられるか不安でしかたがなかったが、今はもう大丈夫だ。
 父も姉も、そして友人も。みんなが祝福してくれている。その事実が自分を支えてくれる。
「そっか。明日は私も君の挨拶を聞かせてもらうよ」
「ぜひ」
 今まで座ったままだった黒髪の青年が少年を抱き上げて立ち上がる。そしてノーヴェの肩を軽く叩いて宿屋の方を指差した。どうやら先に戻っていると伝えたいらしい。
「うん、私もすぐに戻るよ。じゃあね、ナムジン。トレは……?」
「私は今日は家族と過ごそうと思います」
「そっか。じゃあ、二人とも、おやすみなさい」
 ノーヴェが先に宿屋に向かった青年のあとを追う。その背中を見送っていると姉が声をかけてきた。
「私たちも戻りましょう」
「そうですね。家族で過ごす最後の夜ですから」
「最後ではありませんよ。……私の家族はあなたたち、故郷はここにあります。必ず、私はここに帰ってきます」
「……そうでしたね。でも、彼女は……またここを訪れててくれるでしょうか」
「会いに来てくれますとも。ノーヴェさんは友人をないがしろにする人じゃありません。沢山のお土産話を携えて来てくださいますよ」
「そっか……なら頑張ろうかな」
 友がまた会いに来てくれるのなら、来てくれるたびにより良くなれるように努力しよう。
 昔、姉が望んでくれた立派な族長にすぐにはなれないけれど、努力し続けていれば、いつか到達できるはず。
 その成果を友が訪ねてくれるたびに、彼女に見せつけよう。
 父からの信頼、姉からの願い、友からの祝福……その全てに自分は見事応えられるのだと、自身の生きざまで証をたてよう。

 そのナムジンの意思に応えるように、携えた族長の証が月明かりを受けてキラキラと輝いていた。




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