Regret



「ねーやん、本当に大丈夫? 迷子になったりしない?」
 ひたすら苦労して上ったドミール山の頂上には伝説の空の英雄、老竜グレイナルがいた。その彼はノーヴェにこんなことを言った。
『認めてほしくば竜の火酒を一人でもってこい』
 ……と。そしてその通り一人で行こうとしたノーヴェをウーノは必死で止めた。なにせ彼女はひどい方向音痴なのだ。時には右と左すら間違う彼女を一人で生かせる勇気は彼にはない。
「だいじょーぶだって。ドミール山の頂上へはルーラでいけるんだから迷ったりしないよ。それよりウーノこそ大丈夫? 緊張したりしてない?」
「……ちょっと」
 明日にはウーノのエルシオン学院への受験が控えている。だからこそノーヴェは余計に一人で行ってくるといっているのだ。ちょっと行って届けてくるから、その間に試験を受けてこい、と。
「トレ、クー。ウーノをお願い」
「もちろんですよ。両親の代わりににはれませんが、ウーノ君の家族として付き添ってきます」
【気をつけろよ】
「うん、気をつけるよ」
 ノーヴェが仲間たちの元から離れる。そして十分なな距離―ルーラに巻き込まれない距離―をとると呪文を唱え始める。
 柔らかな光がノーヴェの足元からあふれ出してきた。それは彼女の体を瞬く間に包み空へと押し上げる。
「じゃあね、頑張ってきてね!」
「うん! おれがんばるよ!」
「お気をつけて」
 ウーノにとれ、そしてクワットロが大きく手をふり、彼女を見送る。
 その事を、彼らは長く後悔することになる。
 ――なぜ、ノーヴェを一人で行かせたりなんかしたのだろう,と。



「ねーやん、おそいね」
「そうですねえ。グレイナル様と話しこまれてるのでしょうか?」
 ノーヴェと別れてから数日ほど時が過ぎた。試験は無事に終わり(ついで合格間違いなしと太鼓判をもらった)、軽い依頼などをこなしつつセントシュタインまで戻ってきたところである。ノーヴェ(ルーラ)がいなくともキメラの翼があるのだから一気に戻ってきても良かったのだが、宿でただ待つよりは鍛錬をかねて旅をしようということになったのである。さすがにエルシオンからセントシュタインまでは遠すぎるので途中からはキメラの翼で跳んだのだが……。
「なあ、にーちゃん。ねーやんはいったいどこ……」
 そう尋ね、見上げたクワットロの顔色は真っ白になっていた。――いや、普段から彼は病的なまでに白いのだが、そこからさらに血の気が引いている。明らかに何かを感じ取った顔色だ。
「――!」
「にーちゃん!?」
「クワットロさん何があったんですか!?」
 自分の声が出ないことを忘れクワットロが叫ぶが、もちろん彼らに意味は通じない。しかしそれに気づける余裕が彼にはないのだろう。ただただ音のない言葉を重ねていく。
「にーちゃん、これ! おれたちにわかるように伝えて!」
 ウーノが黒板を押し付けると、やっとそれに気づいたようにガリガリと言葉を書き連ね始めた。
【ノーヴェがいない 見つからない】
 消す暇すらもおしいのだろう、わずかな隙間にさらに言葉を連ねる。
【装身具の場所がわからない ノーヴェに何かあったんだ!】
 ノーヴェと彼の持つ魔法具は天使によって作られたものだ。天使界から落ちた衝撃にも耐えたそれが簡単に壊れるとは思えない。そしてそれの効力を無効化できるものが普通であるはずもない。ならばノーヴェは……?
 クワットロの手の中で白墨がグシャリと潰れた。手についた粉を乱暴に払い、つぶやく。
「……、……」
 相変わらず声にはなっていない。いないが今度は意味がはっきりと読み取れた。……彼らも同じ気持ちだったからだ。
「行きましょう、ドミールへ! ウーノ君!」
「うん! 旅立ちの翼よ、おれたちをドミールの里へ!」



 里は暗く沈んでいた。里の人々は嘆き悲しみ、いたるところでは黒のリボンがかけられた酒瓶がおかれている。
「なんか、変わったにおいだね……」
「これは死者を弔うときに焚かれるお香の香りです……」
「死者っ!? 死者ってもしかし」
 不吉な言葉を口走りそうになったウーノ頭をはたき、クワットロはずんずんと歩みを進める。目指すのは村長の家。あの家の老婦人ならば何かを教えてくれるはずだ、そう信じ込んで足早に進む。
「……おや、あんたらはあのお嬢ちゃんの」
「ばーちゃん! いったい誰が死んだの!?」
「いったい何が起きたのですか?」
「グレイナル様が、お亡くなりになられたのさ」
 彼女が言うには、ノーヴェが山を登ってしばらく後にマルボロスを引き連れガナン帝国兵を名乗るものが攻めてきたのだという。グレイナルは勇猛果敢に戦ったのだが、自分たちドミールの里のものを魔竜からの攻撃から守るためにその身を盾とし、散っていたのだと……。
「じゃあ、ねーやんは?」
「グレイナル様の寝所に赴いた若者の話じゃ、血も何ものこってなかったそうだよ」
「行方不明……?」
「もしくは……」
【もしくはなんだ?】
「あんたたちにとって辛い話になるよ?」
「いいから教えてバーちゃん!」
「あの日、グレイナル様が魔竜の攻撃を受ける瞬間、人間らしきものがグレイナル様の背から振り落とされたのを見たという若いのが何人かいるんだよ……。立派な鎧をきてたそうだからお嬢ちゃんかどうかわからないがね。でもどちらにしても、あの高さから落ちたんじゃあ……」
 老婦人は痛ましげに首を振るが、その言葉は彼らにとって希望の光だった。
 グレイナルから落ちた人物がノーヴェならば、彼女ならば絶対に生きているはずだ。今まで高所から落ちても生き残ってきたのだから、今回に限ってダメだったなんてそんなことはない! 
「……!」
 クワットロの背がビクリとはねた。そしておもむろに道具袋の中を探り出す。
「クワットロさんどうしたのですか!?」
【いた! ここから東北の方角だ】
 黒板を出す暇も惜しみ、地面に指で書き記す。書くやいなやまた道具袋を引っ掻き回し――キメラの翼を取り出す。
「……!」
 彼の声なき言葉の意味を読み取ったトレ達は急いで老婦人へ礼を言い、クワットロにつかまった。
「ありがとーばーちゃん!」
「私たち、これで失礼します!」
 クワットロがはるか先、ノーヴェがいるだろう方向を見据え、精神を集中する。その次の瞬間、彼らの体は光に包まれ、空へと舞い上がっていった。



「早く、早く行かないと……」
 牢獄では激しい戦いが続いている。自分が早く仲間を連れ戻らないと、彼らは一人一人その命を散らしていくだろう。それがわかっているのに……。
「……う」
 ルーラを行うために精神集中がうまく出来なかった。監獄での過酷な労働、そして仲間のいない孤独感が彼女の精神を乱しているのだ。
「……早く!」
 精神を落ち着かせるためには、一度足を止めてしっかりと休む方がいいのかもしれない。しかしそれはノーヴェには出来なかった。少しでも前へ進もうと、一瞬でも早く戻れるようにセントシュタインの仲間たちの下へと歩かずに入られなかった。たとえそれが――意味のない歩みだったとしても。
「ねーやん!」
「ノーヴェさん!」
 とうとう幻聴を聞き出したのだろうか、聞きたくてしかたがなかった頼れる仲間たちの声が耳を打った。
「……あ」
 ぐらりと体がかしぐ。疲労の限界に来ていたからだが足から崩れていった。
「――!」
 崩れ落ちそうになった体がグイっと引き上げられる。重い頭を上げてみれば赤い瞳が目の前にあった。
「クワットロ、来てくれたの?」
 うなずく彼の体にしがみつく。抱きとめてくれる彼の存在が心底心強かった。師は……袂を別ってしまったが自分には探しに来てくれる彼や仲間たちがいる。そのことが嬉しく、頼もしい。
「何があったのですか、ノーヴェさん?」
 クワットロから体を離し、トレの治療を受ける。彼女の回復魔力が体を癒していくにつれ、心もその平穏を取り戻していく。そして完全に回復した頃には瞳にいつもの光が戻っていた。
「何があったのかはあとで説明する。今は一刻も早くカデスの監獄へ!」
「ねーやん、無理しちゃダメだよ!」
「大丈夫、体はトレが癒してくれた、心は君達が満たしてくれた。だから……私は大丈夫だからお願い! 監獄にとらわれている人々を救うために力を貸して!」
 その瞳の力強さ、意志の強さは人を守護する守護天使のもの。守護天使が人間に――いや、仲間であるノーヴェが同じく仲間であるクワットロたちに助けを請うているのだ、返事は決まっている。
「無理しちゃダメだよ、おれたちも手伝うから」
「あとでちゃんと話してくださいね?」
 最後にクワットロがノーヴェの肩を抱き、力強くうなずいた。
「皆、ありがとう。――行こう、カデスの監獄に!」




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Scribble <2010,09,26>