Parting forever
こんな事許されていいはずがない。そう、これは何かの間違い、もしくは夢に違いない。
「よくも……よくも私の師匠を! イザ師匠を傷つけたな!」
自分は幻でも見ているに違いない。もしくは弟子を裏切った罪悪感が、自分に幻覚を見せているのか?
「イザ師匠はどうぞ下がっていてください。皇帝は私と仲間たちが討ちます!」
裏切り傷つけたはずの弟子が自分を師と、守るべき同胞であると……そう認識してくれている!
自分に下がれと、皇帝を討つと言ってのけた弟子の背中がなんとも頼もしい事か! そこに翼はなくとも誰かのために剣をふるい、戦う彼女は誰よりも守護天使と呼ばれるにふさわしい。
「おのれ守護天使……。小賢しいハエめ! 害虫は害虫らしく潰されるがいいわ!」
ガナサダイが槍と化した王笏を振り下ろす。しかしその凶悪であろうその一撃はノーヴェの盾によってふさがれた。何度やっても結果は同じ、彼女にその豪腕が叩き込まれることはない。
「イザ師匠が見守ってくれている。仲間たちが私を支えてくれている。……私はお前なんかには負けない!」
ノーヴェが敵に向かい、まっすぐに突き進む。邪悪な魔法が彼女を焦がすが背後に控える僧侶の治癒魔法で瞬く間に癒えてしまう。
体重とスピードが乗せられた渾身の一撃がガナサダイに向けて放たれる。しかしそれは読まれていたのであろう……盾でたやすく受け止められてしまった。
「ぐ……がはっ!」
ガナサダイが血を吐いた。背後に回りこんでいた盗賊の青年が死角から切りつけたのだ。
「平民が……愚民ふぜいが刃向かうでな……グゲッ!」
視線をノーヴェから青年に移した瞬間、今度は彼女が切りつけた。
視線がノーヴェに向かえば青年が、青年に向かえばノーヴェが切りつける。二人は常にガナサダイを挟んで一直線上に位置し、互いのどちらかがガナサダイの死角に入るように攻撃を加えていた。
「小賢しいわあ!」
二人を弾き飛ばそうと、ガナサダイが大きく武器を振り回す。しかし彼女らはそれを軽々とよけ、大きく間合いを取った。
「おのれ……おのれおのれおのれええぇぇえ! 帝国の贄が! 愚民が! 貴様らはもうわしに触れることはできぬ、近づくことさえできぬ! わしの魔法で骨まで炭にになるがいいわ!」
「私達が近づく必要なんてない。そして……消し炭になるのはお前だ!」
ノーヴェと青年が大きく横に跳び退った。そうしてガナサダイの前に現れたのは身の丈に合わぬ大きな杖を持った少年、その杖の先にはガナサダイの魔法に負けぬほどの魔力がこめられた真っ赤な炎!
「……メラミ!」
放たれた炎が瞬時にガナサダイを包み込む。
ノーヴェたちの攻撃で弱っていたのだろう、それを振り払うことさえできずにただもがく。しかしその動きも徐々に小さくなり、槍の先に未練がましく宿っていた魔力もやがて消えうせた。
「イザ師匠ご無事ですか?」
「ああ、なんとかな」
「あなたは……やはり私の信じた通りのお方だった。私は全てを聞いていました。……偽りとはいえ帝国に従うのは辛かったでしょう?」
「絶えられないというほどの事ではなかったな。ノーヴェ、お前を傷つけた事に比べれば……。お前こそ辛かっただろう」
目尻に光るものを宿した弟子の頭をなでる。長旅の間、そんな余裕がなかったのだろう、以前はよく手入れされていた髪はずいぶんと痛んでいた。
「私はあなたを信じていましたから。それに仲間達がいたからここまであなたを追ってこれたんです。紹介します。クワットロにトレにウーノ! 私の仲間達で……大切な友人です!」
黒髪と桃色の髪の男女が軽く会釈し、水色の髪の少年が大きく頭を下げた。そんな彼らに最大限の礼をもって応えられるように、片ひざをついて頭を下げる。
「私の愛弟子、そして私自身の命を救ってくれたことを感謝する。天使イザヤール、この恩は決して忘れない」
「そんな……頭を上げてください守護天使様!」
「そーだよ! おれたちねーやんが大好きだから一緒に旅してきただけだもん。これはその、なりゆきってやつで……」
あわてる二人をよそに、黒髪の青年が黒板を差し出してきた。
【困っている者を見かけて救いたいと思うのは天使だけじゃない】
読んだと思ったころをに黒板を引かれ、新しい文字が書かれて再び差し出された。
【たまには人間が天使を救うことがあってもいいだろう?】
口元に自然と笑みが浮かぶ。
ああ、やはり……人間はすばらしい。この地上を任せるにふさわしい強い心身を有している。あの方が信じ続けたものの形がようやく自分にもはっきりと感じられた。
「イザ師匠、これからどうしますか?」
「これから牢獄に囚われた天使たちを救出しに向かう。手伝ってくれるな、ノーヴェ」
「はい、イザ師匠!」
「君たちも手伝ってくれるとありがた……」
視界の端に光るものが引っかかった。それはノーヴェをはさんで向こう側にあった。より正確に言うならば倒れ伏したガナサダイの武器の先に……。
「……っ!」
ノーヴェを仲間達の下へ突き飛ばし、彼らに全力で防護魔法をかける。その一瞬のうちに杖に宿った光は大きく膨れ上がり、殺傷能力を持った攻撃魔法となった。
「がああぁぁぁぁぁああああ! 死ね! 天使! 死ぬがいい! 愚民どもめがあああぁぁぁあ!」
「ガナサダイィィイ!」
放たれた魔法はなけなしの魔力で張った防護魔法をやすやすと貫き、自分の体を切り裂いていく。だが気に留めるべきは怪我のことではない。今は……皇帝に止めをさすことだけを考えろ!
「イザ師匠!」
弟子の悲痛な叫びが耳を貫く。そうだ、ガナサダイの魔法なんかよりも弟子の叫びのほうがもっと痛い。その痛みに心が折れてしまう前に為すべきことを為せ!
「これ以上弟子に手は出させん!」
「が……ぐは……。イザヤァァル、貴様も道連れにしてくれるわぁ!」
「望む、ところだ……!」
新たに放たれた魔法に肉を裂かれ、肺を貫かれ、体を貫通したそれに翼を切り落とされる。
しかし自分もただやられるつもりはない。剣を振り下ろし、翼からあばら骨まで一気に砕き、返す刀でコアを破壊する。
ガナサダイの瞳が不気味に明滅する。自分に更なる一撃を与えようと手が振り上げられた。
「イザ師匠!」
ノーヴェの叫び声と同時にガナサダイの腕が一本の矢によって砕かれた。そこを起点として崩壊が進み、数度瞬きを繰り返したのちには、皇帝はもう一握りの砂と化していた。しかしそれも瞬く間に風化し、風に散っていく。
振り向けば、武器を弓矢に持ち替えた弟子が今にも泣きそうな顔でこちらに走り寄ってくるところだった。彼女らにかけた防護魔法は確かに彼女らを守ってくれたらしく、周辺は魔法の爪あとも大きいがノーヴェたちには傷ひとつない。だがその魔法も自分が弱ると同時に砕けてしまったようだ。
「ノーヴェ、無事か……?」
「はい! 私は、私たちは無事です!」
ぐらりと傾いだ体をノーヴェに支えられた。その瞬間、体がスッと楽になった。ふと視線をおろしてみれば、あれほどに傷ついていた体に怪我のあとはなく、その代わりに体そのものがどんどんと希薄になっていくところだった。
「イザ師匠!」
「泣くな、ノーヴェ。私は……嬉しい。私の命の最期の輝きをノーヴェ……愛弟子であるお前のために使えたのだから」
「最期なんて言わないでください! あなたも、私を一人にするのですか!?」
「お前はもう一人ではない、そうだろう?」
弟子の震える肩にそっと手を置きながら視線を彼らに向ける。
「ノーヴェを頼む。私の愛弟子をどうか支えてやってほしい」
彼らがはっきりとうなずいてくれたのを確認してから、背から羽をむしりとる。そしてあらん限りの霊力をこめて、そっと彼らへと飛ばした。
……彼らがノーヴェと同じ場所に立てるように、彼女と同じものが"視"れるように。
「ノーヴェ、頼みがある。……牢獄にいる天使たちを、そして三百年前より囚われ続けている私の師匠を救ってほしい」
「はい……! 必ず!」
しっかりとうなずいた弟子の瞳には、もう涙は残っていなかった。かわりに宿るのは強い意志の光。それは……天へと還る自分への最高の手向けだ。
ああ、もう体だけではなく意識も薄れてきた。だから、最期に……彼女に一言だけ。
「ノーヴェ……お前を弟子にできたことを、お前の師であれたことを……何よりも幸福に――そして誇りに思う」
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