朝に関する五つのお題
Compliment
ダブルクロス・エクソダス
「Buon Giorno Shinya!」
「……お、おはようエミリア」
「……なんでどもるの?」
「いや、一瞬何を言われたのかわからなくて。朝の挨拶でいいんだよね?」
「うん。そうだよ!」
ニコニコと笑いながら真也の隣に腰をおろす。今日の朝食当番はガブリエルだから彼はこの場にいない。席にはすでに、セルフサービスっぽく、パンやゆで卵、果物が準備されていた。きっともう少し待てばコーヒーも持ってきてくれるだろう。
「おはよう、ございます……」
アイビィが眠そうに目を擦りながらやってきた。
「Buon Giorno Ivy!」
アイビィの目がきょとんと丸くなる。そしてふにゃんと笑って返事をする。
「Good morning Emilia」 ちょこちょこと歩いてきて、エミリアの前の席に座る。
「どうしたんですか、エミリア。いきなりイタリア語で挨拶するなんて」
「今朝、ママの夢を見てね。なんだかイタリアの事を思いだしちゃったんだ! ……アイビィこそなんで今日はそんなに眠そうなの?」
「昨晩、テレビでクラシックのコンサートがあって。聞き逃したくなくて、つい……」
少し恥ずかしげにアイビィがこたえる。
「へー。あたしだったら逆にすぐに寝ちゃいそうだよ」
「……僕も」
エミリアの言葉に真也もこっそりと手をあげて同意を示す。
「お前たちな、起きてきたんなら手伝えよ」
「ごめん、ガブリエル。そしておはよう」
「ああ、おはよう。これを配ってくれ」
ガブリエルが真也用のコーヒーとエミリア用のカフェオレを手渡す。そしてアイビィ用のぬるめのミルクを彼女の前に置いて席につく。
「Buon Giorno Gabriel!」
「Good morning Gabriel」
「ああ。おはよう、二人とも」
「あれ? ガブリエルの国の言葉は?」
「……真也」
エミリアにつつかれて思い出した。そういえば確か、彼は祖国を失ったと言っていた……。
「ごめん、ガブリエ」
「Bom dia」
「え?」
ガブリエルが口の端に笑みを浮かべて続ける。
「Buon Giorno. Good morning.Guten Morgen.Bonjour.……順番にポルトガル語、イタリア語、英語、ドイツ語、フランス語での挨拶だ。挨拶はコミュニケーションの基本だからな、軍人時代にこれだけは叩き込んだ」
「うん! 挨拶は大切だよね!」
「や、やけに力説するね、エミリア」
「うん! だって、あたし……こうしてみんなと毎日挨拶出来るのが嬉しいもの」
「……どういうことですか?」
「ほら、昔はさ、みんな隔離されてたりで、挨拶できないことも多かったから」
Xナンバーズの自分達にはある程度の自由があったとはいえ、反乱を抑えるためか、接触することはそれほど多くなかった。教育係とその生徒という関係でなければ、数日あわないということがざらにあったのだ。
「それにね……朝、挨拶して……でも夜はいないとか、おやすみって別れても朝にはいなくなっちゃってるとか……毎日あったから」
エミリアの瞳に涙が浮かぶ。ガブリエルの表情にも苦いものが浮かび、アイビィも辛そうにコップの中に視線を落とす。
真也は改造すぐに脱出したが、彼女らは長い間あそこに囚われていたのだ。……その悲劇を何度も目の当たりにしてきたのだろう。
「……だからね、嬉しいの。おはようって挨拶した人におやすみって言えて……朝にはまたおはようって当たり前に言える事が、すごく嬉しい」
「そう、ですね。その当たり前の事が私たちは出来なかったんですよね……」
「……これからは好きなだけ言えるよ。当たり前の事が当たり前にできるようになる」
「うん」
「はい」
真也の言葉に少女二人が笑顔を浮かべる。そんな彼らを眺めながら、ガブリエルはコーヒーを一口含み、こんな提案をした。
「なんなら俺が他の国の挨拶を教えてやろうか? どんな奴にでも気軽に挨拶できるように」
「うん! 教えて教えて! まずは英語と日本語とガブリエルの故郷の言葉!」
ガブリエルの母国はなくなってしまったが、故郷までなくなったわけではない。だからその地で使われていた言葉は残っている。
「日本語は習うまでもなく話せるじゃないですか。……X島ではこれが標準でしたから」
「うん、そうだけどさ。ちゃんとした人に習いたいじゃない。だからお願いね、真也」
「え? ……ああ、うん。僕で良ければ」
「アイビィは英語を教えてくれる?」
「もちろんですよ。かわりにイタリア語を教えてくださいね」
「ガブリエルも!」
「ああ。だがそんなにいっぺんに覚えられるのか?」
エミリアが人差し指を顎にあて、小首をかしげて悩んでみせる。しばらくすると名案が浮かんだのか、にっこり笑ってこう言った。
「じゃあ、まずはおはようとおやすみから教えて」
「それだけ? さよならとか、こんばんはとかは?」
「え? だって必要ないじゃん」
不思議そうな顔をする仲間たちに向かって、きれいな笑顔を浮かべてエミリアは続けた。
「……あたしたち離れたりしないでしょ」
離れる事がないから『さよなら』なんて必要ない。朝『おはよう』と挨拶して、夜に『おやすみ』と言って眠りにつくまで、ずっと一緒にいるから挨拶はそれだけあればいい。
「でも『いってらっしゃい』と『おかえりなさい』は必要じゃないですか? いくら一緒にいるからといっても、別行動する時もあるのですから」
「そっか。それもそうだよね! それもよろしくね真也」
「……僕が教える必要なんてなさそうなんだけど」
「まあ、そういうなよ。話せる話せない関係なしにお前に教わりたいだけなんだから」
エミリアの顔が赤く染まる。
「え? な、なに言ってるのガブリエル!」
「さあ、何だろうなあ」
ガブリエルの含み笑いにエミリアの興奮が加速する。立ち上がり、真也の背中をバシバシ叩きながら叫ぶ。
「ああ、もう! 違う、違うの! あたしは日本語をファントムセルなんかじゃなく、真也に教わった事にしたいだけなんだから!」
「……痛いよ、エミリア」
「ははは。モテる男は辛いなあ、真也?」
「だーかーらー!」
「エミリアさん落ち着いて。ガブリエルも煽らないでください!」
……それは、幸福な未来があると信じて疑わなかった頃の一風景。
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